◆障害者権利条約◆

葛飾区聴力障害者協会設立60周年・手話サークル葛飾設立10周年

合同記念講演会

 

国連障害者権利条約と私たちの生活-障害当事者の視点から-

 

3月8日(日)葛聴協とサークルの合同記念講演会を青戸地区センターエポックホールで開催しました。第1部では前内閣府障がい者制度改革担当室長を務めた東俊裕講師をお招きし基調講演を、第2部では葛飾区の障害当事者4名(肢体、知的、精神、聴覚)のパネリストをお迎えし、東講師とパネルディスカッションを行いました。その一部を抜粋してご報告します。

*参加65名(葛聴協19名、手話サークル27名、一般18名)


1部 基調講演

 

「障害者権利条約の意義と私たちの生活」

 

講師:熊本県弁護士会所属 弁護士 東俊裕氏


障害者権利条約とは?

 4年間にわたり国内の障害者法制を改革してきて、2014120日日本は条約を批准したが、課題は残っている。障害者福祉制度の中にメニューはいろいろあり、発展してきているが、人権については語られない。障害者権利条約とは障害のない人には当たり前に享有されている人権を障害者にも平等に保障するという観点から、障害者の人権の保障を締結国に求めた条約。人権が保障されているかどうか映し出す鏡が条約の果たすべき役割であるといえる。法律よりも強い、解決できる力を持つものである。作成過程で当事者が参加し、そのことが中身に影響している点で画期的である。条約のなかで手話を言語と認めている。

  

手話言語の認知

 ろう学校ではかつて手話の利用を禁止していた。現在、言語学の中で手話も一定の文法を持つ言語であることが証明されている。また、脳科学の分野でも、手話使用時に言語野が活発になることが分析により証明され、自然科学からも「手話は言語である」ことが証明されている。人間が思考できるのは言語があるからであり、手話を奪うことはどういうことか?考える力を奪う政策をやってきたということ。国際的な文書で手話を言語と認めるのはすごいことである。手話の禁止やろう文化の否定はできない。手話を使用する権利(使用権)がでてくる。また、社会が手話を認めても個人のみの使用では社会との繋がりがない。アクセシビリティというのは利用可能な状況にすることで、手話利用にかかる環境整備が必要である。手話環境、コミュニケーション環境を整えるためには手話言語法、コミュニケーション法の整備が必要である。

  

医学モデルから社会モデルへのパラダイムシフト

 なぜ、これまで障害者の人権問題は可視化されなかったのか?障害者の背負う社会的不利の原因は機能や能力障害か、それとも、社会的障壁か?原因の把握が異なれば、施策の内容も異なる。社会モデルでは社会の在り方が障害者を排除する。

 例えばある学校の前に音声案内のない信号機があり、視覚障害の人は車の音で安全かどうかを判断する。先生は生徒たちに「白杖の人=視覚障害の人は信号機が赤か青かわからないので、声をかけてわたるように」と指導した。‘思いやり’の教育にはよいが、‘人権教育’ではない。

社会的不利を目で判断できる力を持たない、かわいそうだからと説明しているが、政策の遅れが視覚障害の人を信号で立ち止まらせている。

人権の問題は社会と個人の間にある。人権つまり命は守られるべきであり、社会に問題があるのである。思いやりの教育=人権教育ではない。ろう者にとっての社会的障壁は手話がないことである。

 

障害に基づく差別の可視化と法的規制へ

 差別の実態は昔からあったが、障害者は自分の責任と考えていた。社会への発信がなかったため、差別は問題とされてこなかった。差別はいけないという倫理はあるがそれだけでは差別はなくならない。処罰のためではなく、何が差別か、なにが合理的配慮かを決めるために物差しが必要である。(共通の認識、差別の定義)差別の具体例から4つのパターンに分類した。直接差別、間接差別、関連差別、合理的配慮の不提供。

  

障害者差別解消法

 「不当な差別的扱い」と「合理的配慮の不提供」を差別と位置づけるが、それらの差別の定義がない。国民の理解のために現在ガイドラインを作成する。もう一つの問題点は、実際に起きた差別の救済の仕組みが不十分なこと。小さな差別から大きな差別まであるが、身近な差別は救済の仕組みがなければ放置されてしまう。千葉県では条例で相談、解決の仕組みを作っている。今後条例に期待する。手話に関すること、差別に関することの条例を作ることが求められる。

 現在、要約筆記、手話通訳派遣は福祉制度で実現している。今後は合理的配慮に基づく派遣が一つできるようになる。会社、学校等での通訳利用に法的根拠が増える。切り分けについては共通認識がまだない。差別解消法により、相手方に直接準備を要求できるようになる。

  

最後に

(法律の)枠組みを変えることができた。これから充実させるのは地域社会で!他人事ではない。人権は自分で責任を持つもので他人から与えられるものではない。勝ち取ってきた歴史である。次の世代のために、新しい障害者のために何を残すか?個人、団体の責任である。皆さんと共に実のあるものにしていきたい。 

 


2部 パネルディスカッション

 

「パネリストからの発言」


祐成常久氏、小見あづさ氏、

板倉健二氏、依田寿美氏

  

祐成氏

 最寄りのJR駅は改札口から通路に降りるにも車椅子はリフトを使用。ホームへはエスカレーターに乗り、下車する駅との連絡を待つと乗車するまでには時間がかかる。連絡ミスで、目的駅で降車できないこともあった。公共交通機関の駅の構造の問題点と乗務員の接遇に問題点がある。障害者と健常者がともに安全に交通機関を利用できるようになってほしい。小・中学校で車椅子養成講座を担当。乗り方、初めて車椅子に触る体験、注意事項などを話す。乗る側、押す側の意思疎通、コミュニケーションが大事だと伝えている。

  

小見氏

 職場で書類発送グループのトレーナーをしている。昨年4月にトレーナーに昇格。業務を競う障害者技能競技大会(通称 東京アビリンピック)へ選手としてオフィスアシスタント部門に出場、残念ながら受賞はできなかった。入社した頃は戸惑いや、デレデレした態度もあったが、今は後輩に恥ずかしい姿は見せられない。リーダーや同僚のトレーナーに相談し解決している。好きなグループのライブに行くのが楽しみ。母が就労支援センターを見つけ、紹介を受け、会社に入社できた。前の職場で父を亡くしショックで家にこもり、母に心配をかけた。トレーナーになった事を父も喜んでいると思う。母に感謝している。

  

板倉氏

 30代は苦労なく運送業についていた。両親の病気、介護を一人で背負い地獄のような生活だった。幻聴が聞こえ、頭がおかしくなった。運転中の幻聴で2回事故を起した。父が他界し、母も近くのホームに入所した。薬の過量で記憶がなくなったこともあったが、今は自分の体調も良くなった。黙っていれば障害があると見られない。

  

依田氏

 家族全員聴覚障害者の家庭に生まれた。家庭内ではホームサインと口話を駆使して自由に会話した。両親は戦前のろう学校で厳格な口話教育を受け、手話は禁止。姉はろう学校では口話教育だが手話もあった。自分は小学校では難聴学級で補聴器の仲間は居ても手話は使えず、また通常学級では集団の中でのコミュニケーションに疲弊した。両親から手話はみっともないと言われたが、自分はずっと手話と共に成長した。子どもの頃には蔑まれていた手話が今は言語と認められた。聞こえない子どもたちが手話を学べ、どこでも手話で意思疎通できる社会は近くまで来ている。言語である事の認識を広め、深めて行きたい。

  

東講師よりコメント

 パネリストの話から、他の人との関係作りの大変さがリアルにわかった。交通機関の利用しづらさはいっぱいある。駅員の人員体制も夜間は少ない。接遇対応はまだまだである。ハートビル法により、映画館や劇場等入り口までの段差解消はまあまあだが、席の配置までは決めていない。車椅子が来ない想定でデザインされている。席を自由に決められない。好きなところにいけるようにバリアフリー法でまかなえない所は差別解消法で合理的配慮を提供してもらう2本立てになる。

 労働の面では非正規雇用、一年更新、賃金が安い等、労働の質の面でまだまだ差別がある。大変だが、チャンスを活かしてほしい。日常生活を支えていくのが大事だ。

精神障害は見た目ではわからないという大変さがある。ろうも同じ。車椅子や白杖など隠しようがない障害とちがいがある。一般の意識、啓発が大事。障害者は今まで狭い集団で生きてきて、一般の人と接する機会がない、共生社会であれば交われるような社会が大事。待っているのではなく、自分から地域社会に向かっていく。

社会の在り様が障害者の生活を作っている。個人の間ではなく社会の在り様。ありのままの自分、性格を社会にさらけだして生きていく。どんな社会を作るかはみんなの共通の課題。

障害者団体は種別後との活動、歴史を持っている。仲違いで喜ぶのは行政のみ。JDFの結成の流れは種別を超えて連携してきた。今は中央だけでなく地域でも一緒になって条例の議論が始まっている。お互いを理解し積み上げていくことが地域社会を変える力になる。ろう団体が地域のあらゆる障害をまとめていく役割を担ってほしい。

  

第1部では条約の意義や合理的配慮、差別を学び、第2部ではパネリストのお話からそれぞれの具体的な状況や、生活、ニーズ、そして考えるポイントがわかりました。東講師からは社会の在り様が障害者の差別や生活を作っている、どんな社会を作るかは皆の課題だとのお話がありました。この合同講演会をきっかけに、葛飾区内の障害種別を超えたつながりを作り、皆で協議していくいいう今後の方向が見えました。                      

(報告作成:田村)